広島弁護士会所属 福山市の弁護士森脇淳一

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裁判官の身分保障について(1)

2018.12.10

 裁判官(注1)の身分は、非常に厚く保護されている(憲法78条、80条2項、裁判所法48条参照。なお、平成15年4月に初めて(?)裁判官の報酬が減額された際の私の周囲で起きた出来事や、裁判官の報酬減額と憲法80条2項との関係については、いつかまたこのコラムの中で触れたいと考えている)。

 裁判官に禁止されているのは、裁判所法49条の懲戒事由という本来当たり前のことと、同法52条の政治運動、他の職務に従事すること及び商業等金銭上の利益を目的とする業務を行うことくらいである。もっとも、裁判官の身分保障にとって問題になることの一つとして、憲法80条1項に規定されているとおり、裁判官は10年経過すれば裁判官を辞めなくてはならない(再任されることができるので)かもしれない、ということがある(もっとも、裁判官の職を失っても裁判官の多くは弁護士になる資格を有しているから、弁護士の職を得ることが可能である)。
 旧憲法(大日本帝国憲法)及び同憲法下における裁判所構成法67条は、裁判官(判事)について終身官としていたから、この点で、現憲法は旧憲法下の裁判官に比べて身分保障を弱めたといえる。現憲法が裁判官を10年の任期制公務員にした理由はいろいろあるだろうが、裁判官は弁護士から任命され、10年間裁判官をしたらまた弁護士に戻るという、いわゆる「法曹一元」の思想を背景にしたものと考えられる。
 私は、判事補に採用された際、そもそも私の能力(及び私が裁判所に入所した目的)からして、10年後(裁判官の世界では、任期満了時を「再任期」と呼び習わしている)、裁判官に再任される自信は全くなかったし、幸い最初の再任期(その時期が、私の場合、なぜだか裁判官になってから13年目にやってきたことについては、またいつかお話したい)に再任された後も、そのまた10年後、裁判官に再任される保証は全くないと考えていた。
 もちろん、昭和46年の宮本康昭裁判官再任拒否が政治問題化したことが影響しているものと思われるが、裁判官の再任拒否は、さほど多く行われてはこなかった。しかし、裁判官が再任できなかったとしても、憲法上文句を言える筋合いではない。したがって、私は、当然のことながら、10年ごとに訪れる再任期に裁判官から弁護士に転身することを前提に人生設計を考えてきた。幸いにも、前記の裁判所法48条は、「裁判官は、・・・その意思に反して、・・・転所・・・をされることはない」と規定しているから(注2)、私は、次の再任期が来たときに勤務している裁判所の所在する場所で弁護士になり、その後、一生そこに住むことになってもよいと思える任地(たとえば、当時存命中であった父母に何かあったとき、すぐに実家のある三重県四日市市に駆けつけられる場所など)以外の裁判所への異動(転勤)は承諾しない意思を表明していた(注3)。そして、一度承諾した任地に何年勤務を続けるか、また、その任地の次に最高裁から示される任地がどこかわからない以上、私の承諾した任地は、常にそこに一生住むことになっても悔いのない任地でなくてはならなかった。
 この私の任地承諾の方針について、かつて、私が所属していた地方裁判所のある所長から、「森脇のようにいうのなら、誰も行かない任地が生じて困るではないか」という趣旨のことを言われたことがある。それはそのとおりであろう(注4)。しかし、裁判官が、その意思に反して転所されないという裁判所法48条に定められた正当な「権利」行使について、非難されるいわれはない。むしろ、私は、主にドイツで活躍した法学者であるイェーリングがその有名な著書「権利のための闘争」で説いたと私なりに理解している「権利を有する者は、その権利を守るため、その権利を行使する義務がある」と考えているから、上記所長の言葉にも何ら動揺することはなかった。むしろ、私は、本来希望しない任地への異動を承諾したり、そのような任地に赴けばその次に希望の任地に赴任できると考えて(最高裁を信用して)単身赴任などしている周囲の裁判官のことが理解できなかった。
 なお、私が転所の内示を断ったのは、伊賀支部在任中の平成16年8月頃、当時の津地方・家庭裁判所長から電話で、翌年4月期の異動について「福岡か札幌の高裁を受けろ」と言われ(注5)、私が、(当時、家族が奈良市にいたが、諸事情から転居できず、私が単身赴任をせざるを得なかった。注6)「飛行機に乗るのは怖いから陸路で家に帰ることができる例えば岡山か高松の高裁なら受ける」と答えたところ、しばらくして、「それでは広島ではどうか」と同じく電話で交渉があって承諾したときのみで、その他の任地は、最高裁当局が私の意向を尊重して異動先を提示してくださったため、私もそのままそれを承諾したものであったことを付け加えておく。(以上)

 

(注1)本稿では、最高裁判所の裁判官を除く下級裁判所の裁判官を念頭に論じる。
(注2)裁判所法にこのような規定があるのにもかかわらず,裁判官が通常3~4年ごとの転所を伴う異動を受け入れてきた事情として私の認識するところについては、別の機会に述べたいと思う。
(注3)その意思の表明は、毎年6月頃、裁判官が,毎年8月1日付けで提出を求められる「裁判官第二カード」の「他に転任する場合の任地希望について(現任地を希望する場合も記入すること。)」という表題の欄で、第一~第三希望地(都市名)を記載するが、その冒頭の
□ 次の任地を希望するが固執しない。
□ 次の希望任地以外は不可。
というチェック項目の2つ目にチェックを入れる方法で行った。
(注4)私は、司法制度改革審議会が公表した最終意見書を受けて、最高裁事務総局が裁判官の人事評価制度のあり方全般について各裁判官から直接意見の提出を受け付けた平成13年頃、意見書を提出したことがある。私はその中で裁判官の異動についても触れている。私はその意見が余りにも当時の議論の主流とかけ離れていたため、自らの氏名を公表することによる軋轢を怖れ、最高裁のホームページには「匿名」で掲載するよう依頼した。この「匿名」意見は現在も最高裁のホームページに掲載されている(81014013.pdf)。
(注5)平成16年6月頃提出した裁判官第二カードにも、転任は希望せず、他に転任する場合は関西の希望任地以外は不可と記載した記憶である。
(注6)この時点で大阪高裁管内に13年、引き続き奈良市から通勤可能で、ぎりぎり「関西」といえる(異論はあろう)伊賀支部に4年の合計17年間、「関西」の任地にいることになる上、平成18年4月に再任期を迎えること及び最高裁当局が福岡か札幌の任地を提示してきたこと等の事情から(ここで関西の任地に固執すれば、平成17年4月期の異動がなくなって伊賀支部に残留となり、翌平成18年4月には再任拒否もあり得る[そのような先例があると聞いていた]、との当局の意思表示であると感じた)、このときは、関西の任地に固執するのは無理だと考えた。