広島弁護士会所属 福山市の弁護士森脇淳一

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1年

2019.09.30

 今日、2019年(注1)9月30日で、私が裁判官を辞めて丁度1年になる。そのことによる感慨は特にないから、辞めて正解だったということかもしれない。
 以下、エッセイのようなものだが、一応「裁判官」についてのものなので、カテゴリーとしては「裁判官論」として駄文を綴らせてもらうことにしよう。
 先日、広島弁護士会福山地区会館で、福山地区会の弁護士と、福山市の弁護士事務所で1週間研修する(その間、福山のホテル代も出るらしい。注2)広島修習の72期修習生数名との座談会に参加した。どういうわけか、予備試験(注3)合格組を含め、皆若く(注4)、その全員が、既に東京にある大弁護士事務所に就職が決まっていた。司法試験受験後、その合格発表前に東京の四大事務所に就職が内定した人もいるようで、一時の司法修習生の就職難も今は様変わりしたらしいことが分かり、驚いた(注5)。数年前、私が弁護士に転身したいと知人弁護士に相談した際、今、弁護士になっても持ち出しばかりになると反対されたが、昨年、同じ弁護士から、今なら弁護士になっても大丈夫だろうと言われた意味が改めてわかった気がした。
 その座談会で、私は、「(彼らが弁護士を選んだことは)賢明な選択だとは思うが、(皆、年齢が若かったことから(注6))どうして裁判官になろうと思わなかったのか」と尋ねた。それに対する返答はなかったが、私が自己紹介を兼ねて、裁判官になった理由や経緯をかいつまんで述べた後、彼らのうちの一人から私に対し、裁判官になってよかった点、悪かった点を尋ねられた。それに対し、私は、思いつくまま以下のような趣旨のことを述べた。もちろん、正確に引用するのではなく、言い足りなかったり、分かりにくかったと思うところは補ったこと、既にこのコラム等に書いたことと重複するかもしれないことは、ご容赦願いたい。
 
 「裁判官のよいところは、昇給と部総括になるなどの昇進を望まなければ、任期の10年間は転勤も拒めるし、矩さえ越えなければ発言にも行動にも気を使う必要はなく、とにかく自由であることである。仕事についても、マイペースで構わず、特に民事単独の仕事は『乞食と民事単独は3日やったらやめられない』という俚諺があるほど楽しい。逆に悪い点は、意見の合わない裁判長の陪席裁判官の仕事をしなければならないことである。裁判長が手を入れた(削った)起案に自分が手を入れることはできないから(注7)、意に染まない判決にも署名押印しなければならない。裁判長によっては、まともに記録も読まず、合議で議論に負けても(注8)、「それなら判決できない」とか、「判決(言渡期日)を伸ばす」とか、「とにかく、自分は嫌だ」などと言うので、結局、裁判長の意見に従わざるを得なかった」などと述べた(注9)。
 私は、知人の弁護士から、言うことが極端だ、と言われることがよくあり、上記記載(注10)もそのような評価をされるのかもしれない。しかし、私としては、事実ありのままを述べたつもりである。裁判官を辞めてからのこの1年、いろいろな経験をさせてもらったが、そのような嫌な思いはしたことがない。そんなことが、このコラムの冒頭に記した私の「思い」につながるのかもしれない。
 

(注1)私は、元号の使用に反対なわけではない。現在の元号制と切っても切れない関係にある天皇「制」について思うところがないわけではないが、西暦だって(間違っているらしいが)キリスト教という宗教に結びつくから、政教分離に反するともいえ、どっちもどっちだ。ただ、裁判官時代、元号の使用が半ば強制されていたことから「自由」になりたいという思いと(この点は不自由だったか?)、「令和」に慣れていない上、元号との換算がややこしいこと、そして、一番の理由は、思った以上に西暦「しか」使わない依頼者が多いことから、令和になって以降に私の書く書面は、自然と西暦を使うことが多い。
(注2)私は、修習生の同期が約500人、修習期間2年の世代であり、その後、修習生の数が2倍、3倍、更にそれ以上になり、修習期間が1年半や1年になった修習生の生活については全く疎い(どういうわけか、私は、平成8年以来、修習生と日常的に関わりのある職場では仕事をさせてもらえなかったことも大きい)。なんでも、最近の修習生は、自由にいろんなところで修習できる期間が3週間ほどあるらしい。いろいろと制約はあるらしいが、司法研修所の前期修習、検察、刑事裁判、弁護、民事裁判、司法研修所の後期修習が各4か月ずつ(4か月✕6=24か月)とされていた私には、そのような修習は全く想像できない。
(注3)「予備試験」とは、法科大学院を終了しないで司法試験の受験資格を得るための試験で、一般教養を含め、受験しなければならない科目は多い。その試験に合格すると法科大学院に行かずに司法試験を受験することが可能で、その合格率は、法科大学院を終了した受験者に比して格段に高い。
(注4)司法試験制度が代わり、法科大学院に入るにも相当の「金」が必要になったし、予備試験も科目が多いので、昔のように、人によってはアルバイトなどしながら苦節何年も勉強して司法修習生になる方は少なくなったのかもしれない。
(注5)その後の懇親会で、最近の司法修習の状況を聞いたが、私の頃とはその生活も修習方法も全く異なり、話についていけなかった。私の母校である京大出身者もいて、とても優秀な彼が、私が講義を聞いた、私にとってはメジャーだと思われる先生方(たとえば平場安治先生、北川善太郎先生など)の名前すら全く知らず(それじゃあ、佐伯千仭先生なんか知らないよね?と多少期待をもって聞いたが、当然のことながらその期待は裏切られた)、他方、彼が語る法学者の名を私がほとんど知らなかったことは、私が、もう法学徒としてメジャーな存在ではないことを痛感させられた。
(注6)裁判所の人事はまだまだ年功序列の色彩が強いので、どうしても若い修習生の方が、裁判官に採用されるに当たって有利である。
(注7)実は、判決原本がタイプ打ちだった時代、裁判長が署名押印した後、裁判長が手を入れたどうしてもおかしいと思ったところを、当時裁判所の職種としてあったタイピストに頼んで打ち直してもらったことがある。タイピストは、そのほとんどが高校を出てすぐ裁判所に入所した女性であったが、非常に優秀で、行や字を詰めたりしてうまく前後が通るように打ち直してくれた(私の起案のおかしいところを、この方がいいんじゃないですか、と提案してくれたこともあった)。昔タイピストだった方々は、裁判官個人にワープロが配布された平成の初め頃(だったと記憶する)から後に、ほとんどが事務官に転官し、その多くは優秀な書記官になっていったが、さもありなんと思ったことである。
(注8)私が個人的に「勝った」と思っていただけで、裁判長は、私のことを、単なる「分からず屋」と思っていたであろうことはいうまでもない。
(注9)もちろん、評決の結果、陪席裁判官2名の意見が一致して裁判長の意見を負かせることができないわけではない。しかし、そのためには、相陪席裁判官にも記録を読んでもらい、かつ、裁判長の意見と異なる意見を持ってもらわなければならないが、陪席裁判官は、それぞれ主任(判決等の原稿を作成(起案)する)事件を抱えており、よほど優秀な裁判官でないと、主任でない事件(つまり、相陪席が主任である事件)の記録を読んでもらうことは難しい上、裁判長の意見に歯向かってくれるほどのガッツのある裁判官はさらに少ない。刑事事件で有罪無罪を争うような事件であるならともかく(私は、刑事事件では、決を取ってくださいと言って評決してもらい、2対1で負けた経験は何度かあるが、相陪席裁判官を説得してまでして裁判長の意見を覆した経験はない)、民事事件は、裁判長の意見がよほどおかしなものでない限り、そうともいえないわけでもない、というものであるから、なかなか上記のような結果を見ることはないと思うし、実際、私は、そこまでして裁判長の意見を抑えようと思うほどの事件には巡り合わなかった(結論は合議の結果に従うものの、沢山私見の根拠等を付記した私の起案を読んで、その意見を私と同じ意見に変えてくれた「良い」裁判長ももちろんいた)。※
(注10)こんなことは、「合議の秘密」にはあたらないと思うが、最近の最高裁の判断は私の理解を越えることが多いから(これも私が時代遅れになりつつあることの証拠かもしれない)若干不安ではある。
 
※本稿脱稿後、民事事件でも1件、私が、「2対1ですね」(私の意見は通らなかったという趣旨)と言った事件があったのを思い出した。確か、相陪席が主任裁判官の事件で、多分、法律論が問題になっていたのだと思うが、残念ながら事件の内容は全く記憶していない。(2019年10月1日付記)