広島弁護士会所属 福山市の弁護士森脇淳一

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後見事件について(3)

2019.07.31

 「ある元裁判官の履歴書(5)」(最近、冒頭部分を書き直した)で、私のつたない司法制度論や裁判官論について書くのは「先送り」させていただくと書いた。もっとも、後見事件については、「後見事件について(1)」で、制度設計上の問題がある旨指摘した上、続編を書く旨述べてしまっているので、その責は若干なりとも果たさねばなるまい(注1)。
 私が上野支部(当時)で後見制度について勉強を始めてから認識したことであるが、我妻栄(わがつまさかえ)博士(注2)が書かれた「親族法」(有斐閣法律学全集第23巻)には、要旨以下の記述がある(372ページ。森脇において、適宜説明を補った)。
 
 旧法(昭和22年法律第222号による改正前の民法親族編)は、未成年者に対して親権を行う者がないとき、または禁治産の宣告があったときに開始する(旧900条)後見の機関について、親族会を上級監督機関、後見監督人をその下にある直接の監督機関と定め、裁判所は、親族会の決議が違法な場合にはその無効を宣言し、不当な場合は不服の訴によって取り消す(旧951条)という途を通じて、いわば間接の監督をしたにとどまった。そして、後見監督人を必須の機関とし(後見人に選任義務を課し、しかも後見人が更迭すれば後見監督人も改任する(旧911−913条))、後見人の職務について極めて具体的な基準を定め、これに違反するときは親族会に解任権を生ずるものとした。新法は、これを改め、第一に、後見監督人を必須の機関とせず、第二に、親族会を廃止した当然の結果として、それに属していた監督権の主要なものを家庭裁判所に移し、第三に、後見人の職務執行についての具体的な基準を除き、家庭裁判所の一般的監督によって適正を期する態度を取った。この改正は、親族間の結合が弛緩するに従って親族自治の思想が効果を収めえなくなり、後見制度が公法化する傾向から、大体において妥当なものだが、しかし、この改正が実効を収めるためには、家庭裁判所が各場合について十分な監督をなしうるだけの機構を持つことを前提とする。しかるにわが国の現状には遺憾の点が多いこと、各所に指摘したとおりである。
 
 親族会とは、親族その他本人またはその家に縁故ある者の中から裁判所または被後見人の親権者等後見人を指定することができる者が遺言により選定した3人以上の者で構成された会である(旧944条、901条)。その運用はともかくとして、民法(親族、相続編を除いては、基本的には変わっていない)、刑法(基本的には変わっていない)、民事訴訟法及び刑事訴訟法という基本法の根本精神というか、理念は、どうも、第二次世界大戦後(以下「戦後」という)に改正されたものより、その改正前のものの方が、私にとって合理性が感じられることが多い(注3)。
 私の解釈では、我妻博士は、旧法は、後見を基本的に「家族」の判断にまかせていたが、「家」制度の廃絶や核家族化による家族共同生活団体の崩壊から、後見制度の変化はやむなしとしながらも、現状の家庭裁判所の陣容は、旧法にあった被後見人の「親族」という共同体による、個々の被後見人のニーズに合った、きめ細かな後見実務の「監督」を担うには、余りにも不十分であると指摘したのだと思う。
 そして、我妻博士の上記指摘は、昨今取りざたされている成年後見制度の幾多の問題とつながっているのではないか。
 最近、最高裁が、これまでのように、多額の資産(注4)を有する被後見人については専門家を後見人に選任するという方針(注5)を改め、親族後見人を用いるという方針転換をしたようであるが、遅きに失したというべきであろう(注6)。
 
(注1)「後見事件について(2)」の末尾に書いた「その後、私が上野支部(伊賀支部)で成年後見に関して行ったこと」については、「司法制度論」としては、「後見事件について(1)」で引用した私が司法研修所に提出した文書の(提出理由)に尽きていると思う。より具体的には、将来、このコラムの「半生記」の中で触れられたら、と考えている。
(注2)全くの私見であるが、第二次世界大戦前後にかけて東大(東京帝国大学)の法律学科の教授を務めた方の中には、その専門とする法律の解釈について他の学者の追随を許さない、圧倒的な「権威者」が数多くいた。その方々の学説は、すなわち、その法律解釈についての「通説」(一般の方にその意味を理解していただけるのかは甚だ疑問であるが、その説に基づく解釈を示しておけば、まず間違いないというもの)であり、戦後の法律学は、それら権威者の学説に対して挑戦する若き学者によって形成されてきたといえる。それら「権威者」とは、たとえば、刑法・刑事訴訟法については團藤重光(だんどうしげみつ)であり、民事訴訟法については兼子一(かねこはじめ)であるが、特に、民法についての我妻栄は、私にとっても「別格」であり、団藤説や、兼子説は、今ではその大きな業績を基礎としてではあるが、概ね新たな気鋭の学者らの学説で覆われている観があるのに対し、我妻説については、実務家的感覚ではあるが、未だにその学説が息づいている。裁判官時代、何か法律問題で困ったとき、手元にあるどの教科書にも書かれていないことが我妻栄の「民法講義Ⅰ〜Ⅴ」には書かれていたことが何度もあり、そのたびに敬服させられた。
(注3)戦後の法律は、主にアメリカ合衆国主導で改正されたことから、どうしても英米法の考え方が流入したと考えられるが、日本の法律の根っこは大陸法にあるから、そのことによる違和感なのだろうと思う。
(注4)私が後見事件に関与したのは、実質平成13年4月から4年間のみなので(福山支部では、1件のみ臨時的に関与したのみであるので、同支部における後見事件の処理方針等について関与することはなかった)、その金額等について、「上」(全国一律でないとおかしいので、多分最高裁家庭局)から示された内部的基準は、その当時のものしか知らない(どういうわけか、その時期以外の内部基準は、担当者に聞いても教えてもらえなかった)上、私の記憶も曖昧で、間違っていたら申し訳ない(申入れがあればいつでも訂正する)が、あえて間違いを恐れずにいうと、当時、「1000万円(1200万円?)以上」という基準が示された記憶である。もちろん、私は、上野支部に専門家後見人の給源がほとんどなく、被後見人が、自らの豊かな老後を支えるためにと残した財産が目減りすることを恐れる後見申立に来た親族と、専門家後見人の選任をしようとする裁判所職員との間で軋轢が生じることが必定の全く無謀な基準であったから、聞かなかったふりをした。家庭局は、財産が1000万円未満の事件は親族後見人事件であっても裁判所は一切監督しなくてよいという方針を出した時期もあれば、特に親族間に揉め事もなく、被後見人のための定期収入はさほど多くないため、その財産が日々目減りしていくだけの事件も含めて専門家後見人を選任し、その監督はしないという方針を出した時期、そして、そのような事件も含めて全件監督せよとの方針を示した時期など(それぞれの時期に、家庭局がそのような方針を示した理由は推測できるものの)、その示した方針は全く一貫性も論理性も合理性もなく、単に場当たり的に「コロコロ変わった」というのが、私の認識である。
(注5)いうまでもないことであるが、専門家後見人が選任されると、被後見人の財産(それはすなわち、通常、将来のある時点において推定相続人に帰属すべきものであるから、推定相続人の関心は高い)の一部が「報酬」の名目で専門家後見人に支払われ、推定相続人にとっては、将来自らに帰属すべき財産が必要以上に目減りすると思わされることのみならず、それ以上に重要なことは、それら財産の管理権が、推定相続人ら親族(以下単に「親族」という)の元から全く離れてしまうことである。十分に予想された(されるべき)ことであったが(「後見事件について(1)」の(意見)欄参照)、専門家後見人の横領など不正事案が後を絶たず(※)、親族が専門家後見人(裁判所が、親族の意向と関係なく、むしろ、親族と利害関係を持たない人を選ぶから、親族との間に全く信頼関係はない)に不審の目を向けることは必定で、親族と専門家後見人との間で敵対関係が生じがちである上、専門家後見人の中には、親族に対して被後見人の財産状況について明らかにしないとか、被相続人の意向であるとして施設に入居中の被後見人と親族との面会を拒むなど、親族が不審感を抱くのも当然だと思われる事例も多く、それら親族と専門家後見人の間に立つ裁判所も苦しい立場に追い込まれる事例もあると予想される。私は、自ら関与した事件ではないものの、推定相続人がいるのにもかかわらず、弁護士である後見人が関与して、被後見人がその全財産をその弁護士が関与する法人に遺贈する旨の遺言を作成し、紛争となった事例を目にしたこともある。これら大きな弊害を生んだ裁判所の専門家後見人を選任しておけばこと足れりという、安易な「方針」を示した(その他の方針はコロコロ変わって、そのたびに家庭裁判所の職員は大きな迷惑を被ったが、この方針だけは、ほぼ一貫していた)のは最高裁家庭局であり、その罪は非常に重いと感じている。
 (※)私が上野支部で後見事件を担当した際、過去の全記録を調査した結果、親族後見人が被後見人の財産を横領したり、勝手に担保に供したという事案が明らかになったが、それらは、被後見人本人(未成年後見の場合)や、法定相続人全員(成年後見の場合)を集めて話し合い、結局、刑事告発することなく、穏便に解決(?)できたが、それは、後見人が、いわば「身内」であったからであって、「他人」である専門家後見人が同様のことをした場合、そのような「穏便な」解決ができるはずもなく、その点からも、専門家後見人に任せる、という最高裁家庭局の示した方針の無謀さは明らかであったと考えている。
(注6)本項をほとんど作成した後、ネット上の日刊ゲンダイの記事(2019年7月26日)(※※)で、最高裁が、親族を後見人にするようにという全国の家裁への指示を、一部の家裁・弁護士会の猛反発で撤回したという情報に接した。事実とするなら、「またか!」と言わざるを得ない。
(※※)この記事は、ある方から紹介していただいた「成年後見制度を考える会」のホームページ(現時点ではまだ一般公開前とのことであるが、特別に拝見した)を通じて知った。同ホームページには、全国各地の成年後見制度の弊害による「人権侵害」ともいえる被害の実例や、それに関する論考が紹介されている。