私は、平成30年6月15日から8月15日までを募集期間とする簡易裁判所裁判官を除く下級裁判所裁判官の早期退職希望者の募集に応募し、同年7月25日付けで最高裁判所長官から「退職すべき期日」を同年9月30日とするその認定通知を受けました。
そこで、同年7月31日、広島弁護士会を通じて日本弁護士連合会(日弁連)に対し弁護士名簿の登録請求をしましたが、その請求に際し、同弁護士会(及び日弁連)に提出する書類として裁判官在職証明書及び司法修習終了証明書(そのいずれも証明者は最高裁事務総局人事局長)が必要でした。
また、広島弁護士会から、裁判官退職後に裁判官退職証明書を提出するよう通知を受けましたが、私が所属していた大阪高等裁判所の人事課から退職証明書のほかに「履歴書」も必要ではないのかと尋ねられ、「履歴書」の何たるかも知らないままその入手も希望しました。
昭和51年3月1日 | 三重県立四日市高校卒業 |
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同 年4月1日 | 京都大学法学部入学 |
昭和55年10月24日 | 司法試験第二次試験合格 司法試験管理委員会 |
昭和56年3月24日 | 京都大学法学部卒業 |
同 年4月1日 | 司法修習生を命ずる 最高裁判所 |
昭和58年4月6日 | 司法修習生の修習終了 同 |
同 年4月12日 | 判事補に任命する 内閣 広島地方裁判所判事補に補する 最高裁判所 |
昭和60年4月1日 | 名古屋地方裁判所判事補に補する 最高裁判所 |
同 年4月12日 | 簡易裁判所判事に兼ねて任命する 内閣 名古屋簡易裁判所判事に補する 最高裁判所 |
昭和63年4月1日 | 大阪地方裁判所判事補に補する 大阪地方裁判所堺支部勤務を命ずる 大阪家庭裁判所堺支部勤務を命ずる 堺簡易裁判所判事に補する 最高裁判所 |
同 年4月12日 | 判事補の職権の特例等に関する法律第1条の規定により判事の職務を行わしむる者に指名する 最高裁判所 |
平成3年4月1日 | 奈良地方裁判所判事補に補する 兼ねて奈良家庭裁判所判事補に補する 奈良簡易裁判所判事に補する 最高裁判所 |
平成5年4月1日 | 簡易裁判所判事兼判事補に任命する 内閣 |
同 年4月11日 | 裁判所法第40条3項の規定により兼官たる判事補につき任期終了 |
同 年4月12日 | 判事に兼ねて任命する 内閣 奈良地方裁判所判事に補する 兼ねて奈良家庭裁判所判事に補する 最高裁判所 |
平成8年4月1日 | 葛城簡易裁判所判事に補する 奈良家庭裁判所判事に補する 奈良家庭裁判所葛城支部勤務を命ずる 兼ねて奈良地方裁判所判事に補する 奈良地方裁判所葛城支部勤務を命ずる 最高裁判所 |
同 年4月11日 | 裁判所法第40条第3項の規定により本官たる簡易裁判所判事につき任期終了 同時に兼官たる判事退官となる |
同 年4月12日 | 判事兼簡易裁判所判事に任命する 内閣 奈良家庭裁判所判事に補する 奈良家庭裁判所葛城支部勤務を命ずる かねて奈良地方裁判所判事に補する 奈良地方裁判所葛城支部勤務を命ずる 葛城簡易裁判所判事に補する 最高裁判所 |
平成13年4月1日 | 津地方裁判所判事に補する 津地方裁判所上野支部勤務を命ずる 兼ねて津家庭裁判所判事に補する 津家庭裁判所上野支部勤務を命ずる 上野簡易裁判所判事に補する 最高裁判所 |
平成16年11月1日 | 平成16年最高裁判所規則第18号により津地方裁判所上野支部(及び津家庭裁判所上野支部)を津地方裁判所伊賀支部(及び津家庭裁判所伊賀支部)と改称 平成16年法律第138号により上野簡易裁判所を伊賀簡易裁判所と改称 |
平成17年4月1日 | 広島高等裁判所判事に補する 広島簡易裁判所判事に補する 最高裁判所 |
平成18年4月11日 | 裁判所法40条3項の規定により本官たる判事及び兼官たる簡易裁判所判事任期終了 |
同 年4月12日 | 判事兼簡易裁判所判事に任命する 内閣 広島高等裁判所判事に補する 広島簡易裁判所判事に補する 最高裁判所 |
平成21年4月1日 | 広島地方裁判所判事に補する 広島地方裁判所福山支部勤務を命ずる 兼ねて広島家庭裁判所判事に補する 広島家庭裁判所福山支部勤務を命ずる 福山簡易裁判所判事に補する |
平成26年4月1日 | 名古屋高等裁判所判事に補する 名古屋簡易裁判所判事に補する 最高裁判所 |
平成28年4月11日 | 裁判所法40条3項の規定により本官たる判事及び兼官たる簡易裁判所判事任期終了 |
同 年4月12日 | 判事兼簡易裁判所判事に任命する 内閣 名古屋高等裁判所判事に補する 名古屋簡易裁判所判事に補する 最高裁判所 |
平成29年4月1日 | 大阪高等裁判所判事に補する 大阪簡易裁判所に補する 最高裁判所 |
平成30年9月30日 | 願により本官並びに兼官を免ずる 内閣 |
非常に煩雑でしたね。目を通していただけた方には感謝します。
私は、裁判官として最初に勤務した(裁判所内部では「初任」と言い習わします)広島地方裁判所(以下「地裁」と略称することがあります)で2年間、主に刑事合議(地裁では3人で裁判をすること)事件を担当する左陪席を(逮捕状等の令状や勾留・保釈事件については高等裁判所に勤務したとき以外はどの裁判所に勤務したときも担当しました)、次に勤務した(同じく「初任明け」と言い習わします)名古屋地裁で当初半年間、勾留・保釈事件を、その後約1年間、執行・保全事件を専門的に、その後約1年数か月間、主として行政・無体財産事件(民事)を担当する合議体の左陪席として過ごしました(名古屋地裁勤務は合計3年間)。
そして、大阪地裁堺支部に転勤して判事補の職権の特例に関する法律により判事の職務を行える者(特例判事補)になった後も3年間、刑事事件を担当する合議体の左陪席(一部、単独で少年事件も担当)をしました。
その後、奈良地裁に転勤し、当初は刑事部に所属して、刑事合議事件のみ、ほとんどの事件で起案を担当しない陪席裁判官をしつつ、通常民事事件(行政事件や無体財産事件は「特殊事件」といってよいと思います)の経験がほとんどないまま、仕事量的には、主に民事単独(一人で裁判をすること)事件と破産又は執行を中心とした仕事(ほとんどの事件を一人で担当。さらに、夏期休廷期間などには簡易裁判所裁判官が担当する刑事略式事件等も担当)をしました(5年間。なお、たしか奈良地裁赴任後4年目に民事部に配置換えとなり、刑事合議事件は担当しなくなりました)。
平成8年4月には、希望して奈良地方・家裁裁判所葛城支部に異動し、民事合議の一部事件の陪席裁判官や、民事単独事件及び執行・破産事件の仕事に加えて、家事の遺産分割事件も一部担当しましたが(5年間)、その間、刑事合議事件にも陪席裁判官として関わりました。
そして、裁判官生活18年目にして、裁判官が私1人しかいない津地方・家庭裁判所上野支部、上野簡易裁判所に転勤し(その後、「上野」が「伊賀」に改称された)、それまで単独体では民事事件しか担当してこなかったところ、自分史上初めて刑事単独事件、簡易裁判所(単独裁判のみで合議体での裁判はない)の各事件、家事事件全般など、第一審裁判所が扱うほぼすべて(行政事件、少年審判については津の本庁が担当)の事件を担当しました(4年間)。
伊賀支部勤務4年目の夏に、津地方・家庭裁判所長から、次の任地として高裁に異動してみてはといわれて了承し、経歴(刑事単独事件の経験は,地裁上野(伊賀)支部での4年間のみ)からして、当然民事事件を担当すると思いきや、広島高等裁判所の刑事部に配属され(4年間)、その後、広島地方・家庭裁判所福山支部(以下、単に「福山支部」という)でも刑事合議事件の裁判長及び刑事単独事件のほか、初めて本格的に少年事件の一部等(民事保全事件や執行事件、保護命令事件(いわゆるDV事件)及び民事・商事の非訟事件)を担当し、それらの事件だけでは私自身若干仕事量として余裕がありましたので、当時事件数が増加していた福山支部の家事調停・審判事件(遺産分割・甲類審判を除く)も担当しました(5年間)。
私は,福山支部勤務5年経過の時点で、民事事件から9年間離れていたため、いつかは弁護士になりたいと思っていたことから、民事事件の感覚を取り戻すため、高等裁判所で民事事件を担当したい旨希望し、名古屋高等裁判所で3年間民事・家事事件を、大阪高等裁判所(一般民事控訴事件のほか、同高裁に係属する倒産・執行・保全・非訟事件の抗告事件及び地方裁判所の控訴審判決(つまり一審簡裁事件)に対する上告事件の全てを担当する、いわゆるそれら事件の「集中部」)で1年半の間民事事件を担当した、というのが私の職務経歴(略歴)となります。
(2018年11月記。2019年7月一部修正)