広島弁護士会所属 福山市の弁護士森脇淳一

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弁護士の生活(4)

2019.03.23

 あるサイトで、ホームページというものは、最低でも2週間に1回は更新しないと誰も見に来なくなる、という趣旨の記事を読んだ記憶がある。先々週から先週にかけて、ある知人から紹介を受けた弁護士の誘いで、裁判官時代も経験したことのない(どうして経験しなかったのかについては、別稿で述べる予定である)裁判員裁判の公判で弁護人を務めたこともあって(非常に労多くて、かつ、判決後の徒労感は著しかったが、これも事案がわからない程度に翻案していつか述べたい)、コラムを載せる余裕がなく、平成31年3月7日のコラム(ある元裁判官の履歴書(4))をアップしてから2週間以上経ってしまい、内心焦っていた。が、しかし、考えてみると、そもそも、今現在、このホームページを見に来たことのある人自体ごく少数であろうから、そんな心配をしていた自分が可笑しくなってくる。
 もっとも、私の若干の個人的営業努力(ホームページのアドレスを入れた名刺を作って配った)により、このホームページを見た方から二、三感想を頂いた(いや、今思い出して数えたら3人で、かつ1人からは複数の感想を頂いた)。
 最初に頂いたのは、「見やすい」という言葉であった。このホームページを公開する前、他の弁護士が開設しているホームページをいくつか閲覧したが、その多くがスタイリッシュでかっこいいと思ったのに対し、このホームページ(当然、公開前から私は見ることができた)は貧弱だと思った。しかし、私がホームページ制作を依頼した際の予算が格段に安かったため(そもそも、私個人で無料で作ろうと考えて勉強するためある程度投資したが、途中で挫折したという経緯もあった)、仕方がないと思っていたのであるが、たしかに、特にスマホで見たとき、「見やすい」というのはそのとおりで、よかったと思い、このホームページを作っていただいた業者には感謝している。
 そして、それ以外の感想は、このコラムが「難解である」というものである。わかりやすくするため子供向けに書いたら?とか、コラム紹介の欄に「読者としては、法曹関係者以外を念頭に措き」と書いているのと矛盾するとか、散々である。
 しかし、今、振り返って考えると、私が「法曹関係者以外」と書いた理由は、私が書いたことの正確性について「法曹関係者」から指摘された場合の「弁解」として使うためであったように思う。私がこのホームページを立ち上げた最も大きな動機は、私が裁判官時代に感じた裁判制度や現実に行われている裁判についての矛盾や疑問を広く知らせたい、ということにあったのだから、私がこれらを本当に読んでほしかったのは司法に関心のある方々であり、もっといえば、裁判所を改革することが可能な(であるはずの)地位にある方々(最高裁判所長官や事務総長ら最高裁事務局員)であった。したがって、司法と関係のない一般の読者にとって「難解」であるのは仕方がない(子供にもわかるようにこれらの話題を書く能力は、私にはない)と開き直るしか無い。
 
 ところで、コラムの更新が一休みしてしまった理由には、余裕がなかったことのほかにもう一つ理由があった。
 それは、私が本当に書きたかったいくつかの話題のうちの一つである「裁判官の存立基盤」そして、また、同様本当に書きたかったことで、かつ、それを念頭に「前置き」を書き綴ってきた「裁判官の身分保障について(1)〜(3)」を書き終え、自分なりに達成感があったからであったことも告白しておかなければならない(「後見事件について」では、この先提案したかったことを、最高裁の遅きに失した方針転換(親族後見人の重視)で先取りされてしまった感があり、ちょっと書く意欲が削がれた)。
 私は、「裁判官の身分保障について(3)」の中(注1)でこう書いた。「私は、普通の会社員や自営業者などができることが、「裁判官」であるがゆえにできないと言われれば、それは本当にそうなのだろうかと、一度は疑ってみることにしていた。」と。
 今、この私の上記言葉が全く通用しないことを突きつけられる「事件」が複数起きていることに危機感を感じているのは、私だけなのであろうか?
  
 なお、「弁護士の生活」のような現在進行形の話題や「ある元裁判官の履歴書」のような私的かつ過去の話題(エッセイ及び半生記)と、司法制度及び裁判官論(実は、後者の2話題を書くと肩が凝るので、前者の気楽に書ける2話題とを交互に書かないと、私の身(心)が持たない気がしている)がごっちゃになった現在のコラムコーナーをテーマ別に見やすくすることや、私が法律相談の依頼を受けることが可能な日時がわかるコーナーを設けるホームページの改変を依頼中である。