2018.12.22
私の父は、私が物心ついたときからずっと、地元・東海地方では圧倒的シェアを持ち、世間話の前提として読んでいないと話にならなかった「中日新聞」、父が、全国紙のうち、インテリの新聞である「朝日新聞」と対比して「商売人向けの新聞」と言っていた「毎日新聞」、そして「日経新聞」の3つの新聞を取っていた。そして、私は、小学生の頃から、学校から帰ると時間をかけてそれら3紙に目を通すことが好きだった。中でも、日経新聞日曜版の「私の履歴書」には必ず目を通し、自分もこの欄に載るような有名人になれたらいいな、と思ったものだった。
今となっては、私が「私の履歴書」に載るような「有名人」になれなかったことに何の悔いもないし、むしろ、そうならなかったことに幸せに感じている。しかしながら他方、心のどこかには、自分の半生を文字にして残したいという気持ちは残っているようにも思う。そのような半生記を書きたいという思いを持つ人は多いらしく、そのような書物を残した先輩裁判官や弁護士は数多い。知人の編集者からも、自分の人生を語る1冊の本を(自費出版してでも)残したいと思う法律家が多いと聞いた記憶がある。私もそのような「法律家」の一人となることの恥ずかしさを感じつつも、人口比でいうと極少数といえるであろう「元裁判官」のある半生を綴ることに、私の自己満足感を満たすだけではない、何らかの意味もあるのではないかと考え、少しずつ、私の「半生記」を綴ることをお許し願いたいと考えている(このホームページを覗いて下さる方がどれほどいるのか自体疑問があるので、「お許し」を得る必要もないのかもしれないが)。
裁判官になってからの記憶の中には、合議の秘密や事件のことなど、当然のことながら明らかにできないこともあるし、まだそのまま記すことは時期尚早と思われる出来事もあるので、順不同で、差し障りのないところから書いていきたい。また、経験上、人の記憶ほど当てにならないものはないし、書き進めるうちに記憶違いに気づいていったん公開した文章を修正したりすることも多いと予想される。したがって、ここで記すことは、決して「事実」ではなく、一個の物語として理解していただけるとありがたい。(以上)