2025.04.26
弁護士ドットコムのニュースメールで阪口徳雄さんが亡くなったことを知った。
昨年11月に森谷正秀さんが亡くなったことを含め、最近、私がお世話になった先輩たち(本当は、私の裁判官時代に、裁判官としての私を形作っていただいた幾人かの裁判官及び弁護士の名を挙げたいが、差し障りがあるかもしれないのでやめておく)が、続々亡くなっていくことを知ってショックを受けているが、特に阪口さんの死は、私に大きな衝撃を与えた。
司法改革の議論が華やかなりし頃、当時私は奈良地裁(本庁及び葛城支部)に勤務していたが、毎月のように大阪の某法律事務所に弁護士及び裁判官、記者、学者らが集まって開かれた会議に出て、中央における司法改革の方向性や状況についての報告を聞き、かつ、記憶があやふやになっているが、裁判官の私的活動についてのガイドラインの作成・発表などに関与したが、その会議の中心人物、というか主催者の立場にあった(と私が理解していた)のが阪口さんであった。
私が、裁判所の中で、比較的自由に発言し、マイコートで私なりの些細な「司法改革」を行えていたのも、この会議(ほかにも様々なところに出かけていたが)に参加し、その参加メンバーと親しく議論し、交流を持てたことのお陰であったし、もちろん、阪口さんとも色々と議論し、懇意にしていただいたことによるものであった。
私が弁護士になったらきっと暇だろうし、大阪に出かけて行って、その当時交流していただいた方々に会いに行こうと思っていたが、予期に反して弁護士業務が多忙となり、会いにいけなかったことが残念というか、今、痛切に反省している。
しかし、魂は不滅であると信じたい私としては(その理由や心情については、いつかこのコラムで書きたい)、私もこの肉体を離れたとき、阪口さんに会いに行きたいし、きっと、あの大きな心の阪口さんなら、裁判所の中にいながら何もできなかったこんな私でも、きっと受け入れてくれるだろうと思っている。